好きな音楽の用法と分類
井上陽水が好きだ.
玉置浩二もめちゃくちゃ好きだ.
じゃあといって普段,例えば作業中彼らの曲を聴くかというとあんまり聞かない.
いや,玉置浩二はランニングするときには垂れ流したりしている.ただ,聞いているかというとちょっと怪しい.
最近作業用BGMにしていたのはシャ乱Qのズルい女だ.一週間前くらいは延々とそれだけリピートしていたが家族から苦情が来たので上海ハニー,高嶺の花子さん,Best Friend,耳の聞こえなくなった恋人とそのうたうたいを加えた.
面白いことに,ズルい女だけ聞いていた時にはそんなに気持ち悪くなかったんだけど,上記の四曲を加えてリピートするようになったら却って単調に繰り返される感じがちょっと嫌になったので,最近は合計14曲のプレイリストを作ってそれをリピートしている.
作業用BGMに玉置とか陽水を選ぼうと思うことは稀だ.例外的に少年時代だけ今上記の14曲プレイリストの中に入ってるが,作業中に玉置浩二とか陽水を流すことにはすごく違和感がある.
こんなことを昨日友人に話したら,そしたらどんな文脈で,あるいはどんなときに井上陽水とか玉置浩二を聞くのか聞かれた.
なんだろう.答えに窮した.
少なくともプレイリストに入れた曲はどれもめちゃくちゃ好きな曲だ.一つ歌詞がとても嫌いなものが入っているけど,作業用BGMとして聞く分には問題ない.
とりあえずわかったことは,好きな曲と一言で言っても,自分の中に何か,あんまり明示的に意識していないクラス分けがあるということだ.
クラシック音楽は分かりやすい.あれは大体曲ごとに「これがコンセプトです!!!」みたいなすごく明確なイメージがあるので,そのイメージに浸りたい時に聞く.あるいはそのイメージに現状の精神状況をチューンしたい時だ.
たとえばボレロは最後のなんか爆発してる感じが最高にぞくぞくする.で,その瞬間がいつ来るかいつ来るかとワクワクしながら単調な繰り返しを待つのがとても楽しい.その体験をしたい時に聞く.逆にそれ以外のときは絶対聞かない.
そんなことを考えて,味の素をかければ大体の食事はうまい.かといってイタリアンが食べたくなってイタリアンを食べに行って味の素をかけることはなさそう.みたいな違いだろうか.と仮結論を出してみたけど,あんまりしっくりは来なくて,その場では明確に答えが出なかった.
せっかく面白いテーマなのに明確な落としどころがないのが気持ち悪いので,もう少し考えてみていた.
まず,玉置浩二を聞いてて特定の感情ないしは精神状態が再現性良く出てくるかというと,なんとなくの傾向はある気もするけど,ボレロほどは明確じゃない.
陽水はどうだろう.
そういえば,一見とても矛盾していることだが,作業用BGMを単一の歌手で構成することを想像すると,玉置浩二で作るよりも陽水で作ってみたときのほうが違和感が強い.少年時代はたぶん例外.ランニング中に陽水とか絶対聞こうと思わない.
例外のことは忘れるとして,陽水の曲を聴いてるときは感情ではないけど,そういえばイメージはめちゃくちゃ一貫している.
陽水のにやにや顔が浮かんでくる.ライブで即興で歌い始めて,バックコーラスの人とかが合わせて,いつの間にか楽曲として成立し始めたあたりで,どうやって終わろうかよくわからなくなってきた~♪,俺は抜けるぞ,あとは勝手に終われ~♪ とか笑いながら歌ってフェードアウトしていく.絶対めちゃめちゃ楽しそうににやにやしてる.まあなんかそんな感じの顔が浮かぶ.
そりゃランニングには合わないな.
陽水の曲で一番好きなのは,なぜか上海だ.ぜんぜんにやにやするような曲じゃないけど,出だしの,空間にほあっと投げ出されるような声が聞こえた瞬間,にやにや顔が浮かぶ.
多分陽水はクラシックよりなんだろうな.布施明もそうっぽい.君は薔薇より美しいを歌ってる発表当時のころとか,なんか正の感情が渦巻きまくってて聞いてて楽しい.
でもどちらもワンリピートすることはない.
そうか,そういえばそれも分類軸だった.
好きな曲・嫌いな曲.
ワンリピートできる曲・できない曲.
作業用BGMになりうる曲・ならない曲.基本的にワンリピートできない曲は作業用BGMにはならないことが多い.
今文字化してみて気づいたが,BGMにならない「曲」という書き方にはとても変な感じがあった.どっちかというと,作業BGMにできないアーティスト,のほうがしっくりくる.ここには属人性があるっぽい.
確かに,玉置浩二の曲,いくつか曲として好きなものもあるけど,必ずしも曲名と内容をマッチさせているわけではない.流れたら大体合わせて歌えるけど,知ってる歌を全部挙げてってと言われると結構困るやつ.
玉置浩二はもしかするとあんまり曲として聞いていないかもしれない.
あの人の人格の振れ幅ってちょっとすごくて,安全地帯時代のUnpluggedってライブ映像とかで顕著なんだけど,ちょっと心配になるレベルでMCと楽曲が分離している.MCの時は足利義昭とかよくわからんバラエティで遊んでる時の天然系なんだけど,曲が始まった瞬間スイッチ入ってどっかイっちゃってる感じ.捧げてる感がすごい.
ああ,またしっくりきた.
玉置浩二は捧げてる感が好き.井上陽水もそんなところあるよね.あのひとは捧げてるってより化身っぽいけど.あ,これ,昴とプリシラじゃん.
そういえば昨日,あんまり着地点が見つけられなかったけど,昴の話もこの話題の流れでしたっけ.なるほど.直感的にそれなりにいい線いってたのか.
玉置浩二を聞いてるとちょっとなんかに辿りついちゃった人のトランス感が想起される.イデアに触れる感じ.ランニングとの相性は絶対いいよな.なるほどね.
この辺の感覚は僕なりに言語化したものがあるけど,今改めて一から説明して整合とるのはめんどいから割愛する.たぶん大丈夫.
翻って,今プレイリストに入れてる14曲はそういう感じは全くない.ひたすら聞きなじみがいい.
基本的に音楽にせよ文学にせよ減点式でふるいにかけて,そのあと加点方式で好きなものを選ぶ傾向があるかもしれない.たとえば下手な歌手の,頑張ってる感,あるいは表現しようとしてる感のある声とか聞くと,レコーディング中の表情とかが頭に浮かんじゃってその時点でダメになる.
そういう意味では陽水もダメなはずなんだけど.顔浮かぶし.もしかしたらその辺がリピートできない理由かもしれない.まあでも,浮かんだ顔が最高にハッピーだからいいのかな.高々定数の減点に対して,音楽の化身感は不可算の加点っぽい.
ふるいにかける云々は少し違うのかもしれない.というよりいくつかif文があって例外処理をしてそう.この辺は考え始めるとまた長くなりそうだから今はどうでもいいや.
とはいえだいぶ整理がついた.作業用BGMは考えてみたら外界のわずかな変化が相対的に小さくなるようにするバックグラウンドノイズとしての性質が強い.こっちになんか届きすぎるのは原理的に合わない.マイナスが少ないことが大事.
ちなみにそしたら作業用BGMホワイトノイズでもいいじゃんって思って,今試してみたけど,そこまで僕のセットアップはストイックじゃなかったわ.
そういえば,こういうマイナスがないものを「めちゃくちゃ好き」と認識する感覚,食事にも当てはまる.味の素云々はちょっとずれてたっぽいけど,食事に連想した感覚は正しかったんだな.
面白い!!
ということでだいぶ感覚が整理されたので,終わり.
考えたことを考えた順にあんまり脚色せず言語化していってみた.僕は結論も含めてめっちゃ面白かったけど,これ,誰かが読んだとして,面白いんだろうか.
まあいいか.またやろう.